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1970年代の交通事情について [交通]

1970年代の交通事情を語るのは、いささか困難である。
というのは、交通インフラの点で、現代に非常に近い面もある反面で、ソフト面(グリーン車利用規程など別に論じたい)など現代と異なる点について想像力を働かせることが難しい程度には昔であるという半端な性格を持っているからだ。
東京や大阪起点に見ると、現代より遅れている面ばかり目につくが、地方対地方だと意外な面も気がつく。

国鉄なら長距離は動力近代化以前の蒸気列車ばかりの時代でもない。1968年にはいわゆるヨンサントウ改正で在来線で最高速度120キロ運転が始まっており、1972年には岡山まで山陽新幹線も開通し、1975年には博多まで全通する。

高速道路も意外と開通している。首都高速も阪神高速も都心部は出来ているし、第三京浜も開通している。名神高速に次いで、大阪万博をめがけて東名高速が1969年に既に全通しているし、1970年代半ばまでに東北道も盛岡あたりまでは通じる(全通は1980年代半ばだが)。
地元だと、北陸自動車道は地域内で孤立した存在だが、1972年に小松空港へのアクセス道路として金沢西~小松ICが開通したのを皮切りに、三県相互の道路網は接続する国道バイパスなども含めて1970年代半ばには完成している。当時の高速道路で片側一車線の暫定開通は例外的なもの(中央道に例はあった)だったので、いきなり片側二車線の単独有料道路が出来たわけだ。

航空もけっこう現在に近い。
福岡、大阪、羽田、札幌を結ぶいわゆる幹線は1960年代半ばまでにジェット化が完了している。それ以外のローカル線はプロペラ便(YS11)が目につき、便数も一日数便の殿様ダイヤ(私の造語、普通の人の日帰りの用事などに使いづらい昼間の半端な時間に一往復か二往復程度飛ぶだけで、出迎えが接待が行き先でつくような偉い人が悠然と泊まりででかけるためのような当時のローカル線のダイヤ)で実用性に乏しい路線も多いが、鹿児島・熊本・宮崎・長崎・松山・小松・仙台・三沢・函館などの先進的な空港からジェット化は進展している。
以前にも書いたことがあるが、1970年代初めの羽田~伊丹便は今以上に栄えている。便数は一日40往復を超えるだけでなく、深夜便も飛ぶだけでなく、今は伊丹に飛行機が発着できない午後10時ころまで便が設定されている。伊丹空港に意味不明のエアバス(ワイドボディー機)規制があったために、JALは中古機まで海外から買いあさってDC8-61を国内幹線に集中投入していた。国内線仕様で定員230人以上と、ナローボディー最大の輸送力があったが、既にメーカー生産が終わっていたための措置だった。

また地元の話に戻る。
親の話を聞いてみると、1970年代後半には今以上に小松~福岡、千歳のジェット便の利用価値が高かったようだ。金沢から岩国に移動する最も時間的に最適な手段が、福岡に飛行機で飛んでから新幹線で新岩国に引き返すことだったというのも意外だ。雷鳥の所要時間が遅く、「ひかり」の1時間1本の速達便が混雑などで使いにくく、山陽新幹線も実質的にはけっこう時間のかかる乗り物だったからということのようだ。
むしろ夜間駐機もなく、便数(3便)と輸送力(747SR就航と夜間駐機は1980年以降から)が限られた羽田便が使いにくかった。ボーイング727からトライスターに代わっても搭乗率は9割を超えていたという(当時の『北国新聞』の特集記事)から、実際には急な用事には使いにくかったろう。


にもかかわらず、様々な理由で、もっと交通は東海道新幹線や名神高速など進んだものが部分的にあっても、全体では前近代的で不便だったという印象が世間では一般的のようだ。

誤解の生ずる理由は様々である。
まず現代のようなインターネットですぐ乗り継ぎや運賃などを調べられる情報化時代ではないということを念頭に置く必要がある。だから人々の情報格差は大きく、頻繁な出張客が飛行機を重用していたといって、家族客などに航空機が一般化していたとは言えないからである。まだ飛行機は高値の花と思っている人も多かったし、周遊券など移動に急行列車を利用すれば圧倒的に安く、今の青春18きっぷよりずっと実用的な旅行手段だった。
道路の情報もそうである。カーナビもないし、当時の道路地図など、観光にはかろうじて使えても、行き先の市街地の移動に使うには無理な水準である。
当時はけっこう自家用車も想像以上に多用されている。1970年代半ばの大分大学では自宅生の多くは自動車通学だったとか。20代男性の運転免許所得率は今以上だ。一方で、社会に遍在しているとは言えない微妙さがある。1970年の新年号から連載が始まった「ドラえもん」では、東京郊外に住む野比家や剛田家に自家用車がないことにさほど不自然さはない。

さらに問題は1970年代に出張などで長距離移動を繰り返していた層は60代以上(当時で20代の若造が遠出を繰り返していた事例は少ないだろうから、70代以上と言ってもいい)でもう引退世代である。社会的に発言力がなくなっているし、ネットへの親和性は乏しい。
「大阪~神戸の国道43号線は片側5車線の世界有数の都市間道路だった」
「名古屋~岐阜の名岐国道は盛り土、側道を備えた、今で言う準高規格道路で、信号もキロ単位だった」
「電車急行にもビュッフェがあり、寿司やそば程度は食べられた」
「昭和51年の国鉄値上げは強烈で、グリーン料金は今より高い設定になった」
「国鉄の値上げが続いたら、飛行機の普通往復運賃と逆転した」
といった基礎的な事実さえ、あまりネットでも書籍でも語られることが少ない。

この時代を舞台としたドラマなどを見ると、けっこうトンチンカンな時代描写が目についたりする。木造客車(じつは半鋼製)の夜行列車の窮屈なボックスシートで移動していたりするのは序の口だ。『華麗なる一族』のドラマでの神戸市街の描写などが典型だ。まるで戦前だと叩かれたものだ。原作だと次男の銀平が自分用の車のマーキュリーを運転して阪神高速を走って、デートしたりしているし、最初の映画版だと頭取専用車のベンツSクラスが開通間もない神戸大橋(ポートアイランドの埋め立て自体はまだ途上)をかすめて、銀行本店に到着していたりする。
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WinnerInipt

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by WinnerInipt (2018-02-06 11:36) 

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