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ツツミ時代のスキー場宣伝とアウトレット [交通]

今考えると、金沢ローカルでのコクドスキー場の広告量は凄かった。
1991年新設の北陸朝日の創業期にローカルのスポットCMは、冬期は半分近くコクドからみだったんじゃないのだろうか。だがその広告料は脆弱な平成新設局の経営の支えに使われ、久米宏・田原による自民党政権つぶしの番組の放送、珠洲原発計画打破のためのローカル番組に使われたとも言え、自民党各派閥と一体の堤義明の経営とちっとも方向が合致しなかったのだから、皮肉なものだ。
2000年代半ばの西武の経営改革で全く状況は変わり、CMは激減した。

その内容も注目すべきもので、妙高杉の原や焼額プリンスホテルとかメジャーなものと同レベルに、「かぐらみつまたマイカースキープラン」とか「ごりん高原スキーキャンプ」とかニッチなものが多かった。なぜか苗場プリンスホテルは相対的にあまり宣伝していなかった。
恐らく首都圏の大市場への宣伝・営業で足りない部分を北陸地域への拡販で何とかしようとしたのだろうか。
恐らく、費用対効果を考えると、コクドにとって北陸は極めて大きな市場だったのだろう。首都圏は市場も大きいが、広告代も高い。しかもスキーブームも過ぎつつある時期には、非スキー人口の多い首都圏に営業しても歩留まりは悪い。首都圏には全くのスキー・スノーボード初心者も多いが、雪国では学校の日帰りスキー遠足があるので、ボーゲンも出来ない若年層・中年層は稀である。つまりターゲットCMになるわけで、広告効果が高い。広告料が安いのも、限られた予算で宣伝せねばならぬ担当者には魅力的だったろう。

上信越道が出来る前から妙高あたりに行く北陸人は多かったし、雪が少なかった1990年代当時の石川富山のスキー場の積雪量・雪質は悲惨だったから、今より信越地域に行くモチベーションはあった。だいたい長野オリンピック前には上信越道は碓井軽井沢止まりだったし、道路アクセスに関しては石川・富山と首都圏でトントンか、渋滞がないぶん北陸からの方が有利だった(尤も、1990年代には、白馬から糸魚川まで渋滞ということもあったらしい)。
そもそも1997年までは碓氷峠経由の特急「白山」が運転されていたので、電車でも金沢から妙高、長野、軽井沢は乗り換えなしで行けたし、乗り継ぎの悪い現状よりも所要時間は早かった。
上信越道が東京からは長野市あたりにつながったが上越に抜けられない長野オリンピック前後は微妙だが、1999年の上信越道全通で再び北陸優位の状況が生まれる。だがその時期にはコクドも落ち目である。

(追記)
最近では軽井沢ショッピングプラザのCMがローカル枠で流れまくっている。だいたいアウトレットモールの客というのは大都市より地方が多いらしい。実はそれほど都心の正規店舗より安いわけでもないし、アウトレット専用品も多い。都会の人間にはそれほどアウトレットに用ががないのだ。だいたいクルマ社会を前提にした業態である。アクセスの送迎バスなどもあるが、来場者の中に占める割合は決して自家用車と半々ではない。
高速1000円末期には御殿場プレミアムアウトレットの駐車場は中京ナンバーで埋め尽くされていた。

1970年代の交通事情について [交通]

1970年代の交通事情を語るのは、いささか困難である。
というのは、交通インフラの点で、現代に非常に近い面もある反面で、ソフト面(グリーン車利用規程など別に論じたい)など現代と異なる点について想像力を働かせることが難しい程度には昔であるという半端な性格を持っているからだ。
東京や大阪起点に見ると、現代より遅れている面ばかり目につくが、地方対地方だと意外な面も気がつく。

国鉄なら長距離は動力近代化以前の蒸気列車ばかりの時代でもない。1968年にはいわゆるヨンサントウ改正で在来線で最高速度120キロ運転が始まっており、1972年には岡山まで山陽新幹線も開通し、1975年には博多まで全通する。

高速道路も意外と開通している。首都高速も阪神高速も都心部は出来ているし、第三京浜も開通している。名神高速に次いで、大阪万博をめがけて東名高速が1969年に既に全通しているし、1970年代半ばまでに東北道も盛岡あたりまでは通じる(全通は1980年代半ばだが)。
地元だと、北陸自動車道は地域内で孤立した存在だが、1972年に小松空港へのアクセス道路として金沢西~小松ICが開通したのを皮切りに、三県相互の道路網は接続する国道バイパスなども含めて1970年代半ばには完成している。当時の高速道路で片側一車線の暫定開通は例外的なもの(中央道に例はあった)だったので、いきなり片側二車線の単独有料道路が出来たわけだ。

航空もけっこう現在に近い。
福岡、大阪、羽田、札幌を結ぶいわゆる幹線は1960年代半ばまでにジェット化が完了している。それ以外のローカル線はプロペラ便(YS11)が目につき、便数も一日数便の殿様ダイヤ(私の造語、普通の人の日帰りの用事などに使いづらい昼間の半端な時間に一往復か二往復程度飛ぶだけで、出迎えが接待が行き先でつくような偉い人が悠然と泊まりででかけるためのような当時のローカル線のダイヤ)で実用性に乏しい路線も多いが、鹿児島・熊本・宮崎・長崎・松山・小松・仙台・三沢・函館などの先進的な空港からジェット化は進展している。
以前にも書いたことがあるが、1970年代初めの羽田~伊丹便は今以上に栄えている。便数は一日40往復を超えるだけでなく、深夜便も飛ぶだけでなく、今は伊丹に飛行機が発着できない午後10時ころまで便が設定されている。伊丹空港に意味不明のエアバス(ワイドボディー機)規制があったために、JALは中古機まで海外から買いあさってDC8-61を国内幹線に集中投入していた。国内線仕様で定員230人以上と、ナローボディー最大の輸送力があったが、既にメーカー生産が終わっていたための措置だった。

また地元の話に戻る。
親の話を聞いてみると、1970年代後半には今以上に小松~福岡、千歳のジェット便の利用価値が高かったようだ。金沢から岩国に移動する最も時間的に最適な手段が、福岡に飛行機で飛んでから新幹線で新岩国に引き返すことだったというのも意外だ。雷鳥の所要時間が遅く、「ひかり」の1時間1本の速達便が混雑などで使いにくく、山陽新幹線も実質的にはけっこう時間のかかる乗り物だったからということのようだ。
むしろ夜間駐機もなく、便数(3便)と輸送力(747SR就航と夜間駐機は1980年以降から)が限られた羽田便が使いにくかった。ボーイング727からトライスターに代わっても搭乗率は9割を超えていたという(当時の『北国新聞』の特集記事)から、実際には急な用事には使いにくかったろう。


にもかかわらず、様々な理由で、もっと交通は東海道新幹線や名神高速など進んだものが部分的にあっても、全体では前近代的で不便だったという印象が世間では一般的のようだ。

誤解の生ずる理由は様々である。
まず現代のようなインターネットですぐ乗り継ぎや運賃などを調べられる情報化時代ではないということを念頭に置く必要がある。だから人々の情報格差は大きく、頻繁な出張客が飛行機を重用していたといって、家族客などに航空機が一般化していたとは言えないからである。まだ飛行機は高値の花と思っている人も多かったし、周遊券など移動に急行列車を利用すれば圧倒的に安く、今の青春18きっぷよりずっと実用的な旅行手段だった。
道路の情報もそうである。カーナビもないし、当時の道路地図など、観光にはかろうじて使えても、行き先の市街地の移動に使うには無理な水準である。
当時はけっこう自家用車も想像以上に多用されている。1970年代半ばの大分大学では自宅生の多くは自動車通学だったとか。20代男性の運転免許所得率は今以上だ。一方で、社会に遍在しているとは言えない微妙さがある。1970年の新年号から連載が始まった「ドラえもん」では、東京郊外に住む野比家や剛田家に自家用車がないことにさほど不自然さはない。

さらに問題は1970年代に出張などで長距離移動を繰り返していた層は60代以上(当時で20代の若造が遠出を繰り返していた事例は少ないだろうから、70代以上と言ってもいい)でもう引退世代である。社会的に発言力がなくなっているし、ネットへの親和性は乏しい。
「大阪~神戸の国道43号線は片側5車線の世界有数の都市間道路だった」
「名古屋~岐阜の名岐国道は盛り土、側道を備えた、今で言う準高規格道路で、信号もキロ単位だった」
「電車急行にもビュッフェがあり、寿司やそば程度は食べられた」
「昭和51年の国鉄値上げは強烈で、グリーン料金は今より高い設定になった」
「国鉄の値上げが続いたら、飛行機の普通往復運賃と逆転した」
といった基礎的な事実さえ、あまりネットでも書籍でも語られることが少ない。

この時代を舞台としたドラマなどを見ると、けっこうトンチンカンな時代描写が目についたりする。木造客車(じつは半鋼製)の夜行列車の窮屈なボックスシートで移動していたりするのは序の口だ。『華麗なる一族』のドラマでの神戸市街の描写などが典型だ。まるで戦前だと叩かれたものだ。原作だと次男の銀平が自分用の車のマーキュリーを運転して阪神高速を走って、デートしたりしているし、最初の映画版だと頭取専用車のベンツSクラスが開通間もない神戸大橋(ポートアイランドの埋め立て自体はまだ途上)をかすめて、銀行本店に到着していたりする。

札幌のバス雑感 [交通]

(数年前の日記を発掘)

千歳空港行きの空港バスの最終便に札幌駅前から乗り遅れた。
北海道中央バス・北都交通の共同運行(昔はJAL系とANA系として、てんでバラバラに出ていた)として、札幌の空港バスは運行されている。
運行体制は別として、だいたいどうして札幌~新千歳の都心発の最終バスが1815発なのだ?2145発まで東京行きはあるのだぞ。常識的に接続を考えれば1930くらいまでは空港行きを出すべきだろう。
アンチJRとしては時間がかかっても空港バスを使いたかったので、仕方なく地下鉄南北線で麻生まで出て、1900の最終バスを使った。旅客はわずかに4人。だがダイヤ公称55分のところ、実際には45分で到着。札幌市街北部からのアクセスとしては実用的ではある。それに地下鉄にウィズユーカードで乗ったら、ちゃんと少し前に道立近代美術館前から乗ったJRバスと乗り継ぎ割引が利いていた。
http://www.city.sapporo.jp/st/ryoukin.html
カードを使った乗り継ぎの方法が出ていないのは困ったもの。
JRバスのサイトで書いてあるような複雑な方法もやっていない。
http://www.jrhokkaidobus.com/route_bus/route_bus08_2.html
どうやら札幌近郊ではあまりに交通機関のカードが複雑怪奇に入り乱れている結果、一部のヲタしか全貌を把握できない状況となっているようである。
しかも全て磁気カードだからカードリーダーのプログラムは相当穴があるようで、規則と機械のシステム作動の実態も、少なくともある時点では一致していなかった(今でも?)ようである。
http://www.swa.gr.jp/diary/1999/hr-99su6.html
確かに札幌市内をどうやって判断するのか疑問である。バスロケーションと複雑なリンクをしているわけでもなかろう。これだけのカードを財布などに入れておくのも難しかろう。
・ウィズユーカード(札幌市営地下鉄の市内の民間バス)
・北海道中央バスカード
・札樽高速バス共通バスカード
・じょうてつバスカード
・JR北海道バスカード
・同昼間割引カード
(これに加えて中央バスの買物回数券)
おそらくICカードになるときに統合されるのだろうが、素人には分かりやすくなっても、割引率が下がるのがICカードの常である。

話を空港バスに戻す。
もう二社連合は空港バスについて、JR「快速エアポート」に対して完全に勝負を投げているとしか思えない。郊外線はそこそこに運行するが、都心行きについては、都心のホテル辺りで適当に客を拾えればいいとしか考えていないようだ。さすがに常人ならば、札幌駅からJRで36分のところ、80分もかかるとあっては、乗らないということか。
いちおう北都交通に問い合わせの電話をかけてみたら、「申し訳ありませんが、JRをご利用いただけませんか?」である。まあ1800を過ぎて窓口の電話に出るだけ、立派ではある。だいたい高速バスの問い合わせ窓口自体、けっこう営業時間が短かったりするものである。北都交通自体、空港バス以外はニッチな路線しかないのに。
直接関係ないので、どうでもいいが、1545で札幌駅前バスターミナルのJR北海道バス窓口が閉まる状況よりはましではある。おかげで、JRバス専用のバスカードの全貌が分からなかった。昼間のカードなどどこで売っているのだ?10000円券の割引率はすごいが、利用客が少なそうで、車内では売っていない。
http://www.jrhokkaidobus.com/ticket/index.html

(ここからはバス界の川島本です。)
現在の空港バスのルートでは、札幌駅から80分はひたすら市内をグルグル回って空港へ向かうからだが、旭川線と同じルートで高速に乗れば、30分近くは短縮できるはずである。大通り方面は始発という方向でいいと思う。
それでも空港まで1時間弱はかかるが、現在の快速エアポートは近郊旅客と混在しており、1本落とさなければ空港行きは座れない状況である。uシートも混んでいる座りたいときには座れない。割高な割り増し運賃を払っている空港旅客には困った状況である。JRにしてみれば、千歳線の線路容量が逼迫しており、近郊客と分離した空港列車を運転することは難しいのであろうが、編成の増結なども考えてみてほしい。だが新千歳空港駅を最低限の有効長で作ってしまったことが裏目に出ている。昔のエアポートきっぷで特急に乗れた時代が懐かしい。この時代に道民に鉄道で空港に行く習慣を身につけさせたことは大きい。なんだかんだいって交通機関の選択で最大の要因は
「××へは○○で行く」
という刷り込みである。これを変えるのが最も困難である。秋田新幹線や山形新幹線の最大の効果もそれであった。直通の便利さは二次的なものといっていい。
始発(に近い状況でも十分)のバスの居住性の方がはるかに高い。そうやって旅客が適度に増えれば、また昼間10分ヘッドに復帰でき、さらに利便性が向上しよう。
それでいて運賃はバスの方が安い。数年前までの片道820円は脅威の安さであったが、現在の1000円は運賃として分かりやすいし、無期限の4枚組回数券が3600円で販売されているので、実質900円である。さらに地元民は10000円で11500円の価値のあるバスカードが利用可能である。JRも回数券で安くなるが、意外と金券ショップの価格は(東京でも札幌でも)990円くらいと高いし、3ヶ月の期限があるので、個人で購入すると使いきれないリスクが残る。

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日本のフェリーの等級のあり方に疑問 [交通]

日本のカーフェリーの等級の中で、カーペット敷きの二等は厚遇されすぎている。
空いていれば中途半端な二等寝台(二等指定と呼ばれることも)より快適だし、窓がないことも珍しい。世界的には個室(キャビン)以外の一般船室は二段ベッドがずらっと並ぶ兵営のようなものか、椅子席(ギリシャ航路なら最低クラスは屋外のデッキ席)であって、窓のない内側か水面ギリギリがせいぜいだ。
床面積あたりの定員で見れば、二段ベッドの二等寝台か、個室の一等よりも、二等の方がゆったりしていることも珍しくない。

日本でも、戦前の青函連絡船の三等(今の二等)は車両デッキより下の船底に奴隷船のような二段の蚕棚(畳敷きだが背が立たない高さ)で、事故があればまず助からない船室だった。それが船旅というものだ。
本当に金のない底辺の出稼ぎ労働者以外は、特に家族連れは
「汽車は三等で十分だけだが、連絡船だけは最低一つは等級を上げろ」
「船は等級が全てだ。払えるだけ高い所に乗れ」
(実際には当時の社会は今とは比べものにならない階級社会だったし、女中・ボーイなどに一張羅の貧乏人と見くびられれば悲惨な差別待遇を受けた)
と言われていた。
その名残は1970年代まであったように思うが、今はない。
もちろん奴隷船仕様に問題があるが、外側の窓まで二等に要るだろうか。外を見たければデッキに出ればいい。
船室から優雅に外の風景を見たいなんて、適切な運賃の代価によってのみ認められるべきだ。

だいたい日本のフェリーは最高クラスの特等か、場合によってはそれ以上の特別室・スイートまで行かないと、二等以上の快適性を得られないことが多い。
特等の一つ下の一等でも、4人部屋か6人部屋の二段ベッドでは貧乏くさいし、一人客や二人の夫婦客などには向いていない。そもそも法外な貸し切り料金を取られることもある。
高速道路整備も進まず、航空路や鉄道も不便な時代に、普通の家族客から人数分一等運賃をぼったくることが出来ていた昔の思いが年配の船会社の人間から抜けないのだ。
一等で一人部屋や二人部屋を持つ船も多いが、窓もない内側部屋ばかりだ。そういう配置の船に限って、二等は無駄に外側に配置されているのだ。
しかもどんな高い部屋に乗っていても、普通のフェリーは下船時は雑踏の中で待たなくてはならない。
国際線の飛行機だったら、特等はファーストクラスだし、一等がビジネスクラスだ。ファースト客が荷物をまとめるのに手間取っても、数分くらい下のクラスの客を待たせるのは業界で当たり前だ。
日本のフェリーで特等客が優先で下船できるのは、徒歩客が皆無に近いオーシャン東九フェリーくらいだ。
これでは二等が満室でもない限り、普通の乗客は上の等級にする意欲など沸かない。

採算を取ろうと思えば、以下の愚策しか採ることができず、顧客ばなれにつながっている。
まずは高速道路をひたすら走るのに比べて高すぎると思えるほど車両料金を割高に設定することだ。高速値下げ対策で瀬戸内海航路はどこも車両運賃を値下げしているが、これが適正価格だ。車両運賃の限度は、高速道路料金+ガソリン代+ビジネスホテル代4000円+運転の労苦3000円(これは個人差あり)くらいであろう。
次の対策は関西汽船・ダイヤモンドフェリーのように二等を大幅に値上げするしかない。だが、大分・別府航路の近年の衰退の原因の一つは、運賃を値上げしすぎて、大分に直行する以外の北九州一円の徒歩客、団体客を、距離がより長いのに二等6000円(学割4800円)と安い新門司航路二社に取られたことにある。賢明な策とは言えない。
後は一人のマニア客から貸し切り料金を搾取することだ。相部屋承諾を許さなかったり、空いているのに相部屋にしたり、一人部屋、二人部屋を少ししか作らないことだ。
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高速道路無料化・値下げで長距離フェリーは本当に危機か? [交通]

民主党の主導する高速道路値下げ、無料化の弊害として反対派に挙げられるのは、だいたい以下の三つである。まあ、だいたい東京中心のマスコミや自民党側が俗耳に分かりやすいように挙げているものは以上である。

第一は渋滞が激化するという議論である。
第二はCO2の排出量が増えて地球温暖化が進むという議論である。
第三は公共交通の衰退が進むという議論であり、最も端的にはカーフェリー業界の猛烈な反対がある。

第一の反対については、
「首都圏近郊など渋滞が予想される区間は無料化しない。(逆に首都高の距離制移行のように値上げする)」
という民主党の主張、マニフェストを読んでいない党派的な反対(GWやお盆正月の繁忙期対策も、他のETC割引の交通量誘導政策も何もないに等しい無計画な麻生政権の高速1000円政策の方がもっと愚策)だし、第二の反対論は、とっくにクルマ社会となった地方の交通の現状(高速道路か公共交通機関かでなく、高く誰も乗らない高速と渋滞する一般道の二択)を知らない東京マスコミ偏向の一環であるか、サービス向上を怠る(というより国鉄民営化間もない20年前のサービス水準から退歩を続けるばかりの)JR各社や航空会社など既存の利権、規制を優先して、地域経済や国民の交通利便性を否定する悪しき日本の縮図に過ぎない。
まあ詳しくは触れないが、反対派はドイツやイタリア、イギリスあたりを(鉄道・ローカルバスとレンタカーの二方面作戦で)個人旅行して見ればいい。アメリカだと大都市近郊以外は国内線飛行機とレンタカーの併用となろうが。

今回は第三の論点を中心に触れようと思う。
だいたい、燃油高や高速値下げで経営危機になり、路線廃止に追い込まれた長距離フェリーの航路は存在するのであろうか?
実例がほとんどなければ、オオカミ少年(本当は苦しくはないのに、苦しいと大騒ぎして援助を求める)と言わざるをえない。
最大手のフェリーマニアサイトのFerry Cruisingなどの主張は業界に過剰に与するものではなかろうか?
普段から車庫などの取材で既存の大手バス会社に便宜を被っているバスマニア雑誌が既存の正規の高速バスの問題に目をつぶり、ツアーバスを罵倒する様子にもにている。

なお、ここでは宇高国道フェリーやタコフェリー、2時間程度の離島航路を短距離フェリーと定義し、関西から四国高知松山など)への航路を中距離と定義する。

ここ十年のスパンで見れば、長距離フェリーの航路が半減に近いのは事実だ。
90年代後半の現状を見れば、一番悲惨なのは首都圏発着の航路であろう。東京港からは「クルーズフェリー」を呼称した釧路行きの近海郵船、東京~紀伊勝浦~高知のブルーハイウェイ(名前は変更を重ねる)、川崎~宮崎の日本カーフェリー(同)など1970年代以来の長距離航路があっという間に2004年までに姿を消した。
苫小牧方面の商船三井フェリー(旧ブルーハイウェィ)は大洗発にして、東日本フェリーと統合して発展的解消を遂げたと解釈はしても、首都圏発のフェリーの壊滅は否定しがたい。
残るのは、RORO船におまけに客を乗せているような東京~徳島~北九州のオーシャン東九フェリーくらいだ。船内サービスはなきに等しい。フェリーマニア以外で存在を知っているのは徳島県民くらいしかいないマイナー航路だ。
久里浜~大分のシャトルハイウェーは2004年~2006年の間に原油高騰で短命に終わったが、老朽船を高速で酷使し、船内設備の多くを封印して運航していた実情を見れば、航路廃止の要因は周囲の経営環境というより、零細な経営基盤にあると見たほうが良かろう。
博多~直江津~室蘭や太平洋航路など、多くの長距離フェリーを持っていた東日本フェリーは経営破綻に追い込まれ、津軽海峡の航路しか残らなかった。

だが、これらのほとんどが石油も安く、高速も高かった2000年代前半に壊滅したのであって、ETC割引が拡充(深夜割引が3割から5割に、休日昼間割引、昨年からの1000円高速など)したここ3年、いわんや今年6月からの高速無料化の時期に廃止になった長距離フェリーはない。
廃止の原因は高速値下げとは関係がなさそうである。推測するに、現状とは比較にならない1998年~2004年ころの航空運賃激安時代に、飛行機に負けたと見るべきだろう。
他の原因としては、東日本フェリーのような放漫経営(豪華に過ぎた九越フェリーの初代れいんぼうらぶ・べる早期売却の損失、二代目モノクラスのサービス低下の落差、過剰投資で転売も効かない高速船ナッチャン)か、冷凍食品に紙皿のブルーハイウェーのバイキングレストランや高知シーラインなどの「乗せてやっている」的な劣悪なサービス水準などが考えられる。

影響があるのは、四国航路の短距離の呉松山フェリーや、中距離の関西汽船・ダイヤモンドフェリーの今治・松山寄港廃止、減便くらいである。
これらは馬鹿高い本四架橋の料金がETC割引で適正化されたから淘汰されたというべきであって、3本も橋があるのにフェリーが生き残っている方がおかしかったのだ。高い道路料金がフェリー業界への間接的な補助金となっていたのである。あるいは四国の高速道路整備の遅さに助けられていたとも言えよう。

長距離では阪九フェリーが一日3往復体制から2往復体制に減便した程度であって、大阪南港~新門司の名門大洋フェリーは(傍目には過剰にも思える)1日2往復体制を止めていない。今や日本最大の勢力の新日本海フェリー(系列の阪九フェリーを入れれば圧倒的)は、寄港便の敦賀~新潟の運航日縮小以外に減便の兆候が見えない。太平洋フェリーは豪華な新造船を造るほど意気軒昂だ。宮崎カーフェリーやダイヤモンドフェリー南九州航路も悪影響は見えない。
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阪九フェリー減便で後悔の嵐 船の上級船室の世界 [交通]

瀬戸内海航路のフェリーはなかなか全貌がつかめなかったところ、あと少しの所で獲物を逃す結果となった。

高速道路値下げの影響で、10月から泉大津~新門司の航路が1日2往復から1往復に減便された。このあおりで1991年就航の「ニューあかし」と「ニューながと」が引退することとなった。
(こんな船です)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E4%B9%9D%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%BC
http://homepage2.nifty.com/capt-wan/han9-ak.htm


それ自体はいいのだが、実はこの船には日本の内航航路でもっとも豪華な部屋の一つがあった。特等船室の上のロイヤルルームである。
http://www.upperclass.jp/archives/50836966.html
http://blogs.yahoo.co.jp/akira744a/41837224.html
広さが50平米近いだけでなく、ベッドルームとリビングルームが分かれた本当のスイートルームである。新日本海フェリーや太平洋フェリーなどのスイートに比べると、部屋全体が正方形ではなく、普通の特等の何部屋分も使った細長い部屋であり、窓の面積が広い。より贅沢な印象である。
1部屋しかない隠し部屋で、JTBの大型時刻表にも運賃が載っていないので、存在が分からなかった。
上の有名船ヲタサイトは、特等の一般船室や1等の情報は豊富なのだが、最上級のスイートルームや特別室の情報は詳しくないので、盲点だったのだ。

後は海外売却か解体の運命しか待っていないから、痛恨の極みである。もうこの部屋に乗ることはできないのだ。 よく太平洋フェリーの「きそ」のロイヤルスイートが日本一の船室として有名だが、フェリー会社の広報が上手いだけだ。
続く謎は、佐渡汽船「おおさど丸」「おけさ丸」のスイートルームである。天皇陛下か新潟県知事、閣僚の乗船しか想定していないようだが、一般客でも金を払えば乗れる。
http://homepage2.nifty.com/capt-wan/osado.htm
http://www.sadokisen.co.jp/info/info_cf/oosado_sr.html
最上階を占有する最高に贅沢な配置といい、180度以上もの展望角度といい、広さといい、日本一の豪華船室ではないかと思う。
そもそも特等さえ、専用バルコニーは付いているわ、サンルームはあるは、応接セットはあるは、高級ホテルのデラックスツインかジュニアスイートの設備なのだ。

2時間半足らずの航路なので、ヲタ以外の利用は望めないだろうが。
ネット上でもスイートルームの乗船記を見ない。

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1982年夏の帰省輸送 東北自動車道の歴史 [交通]

http://www.youtube.com/watch?v=MNV7yzpgflg

・皮肉ぽい文章を淡々と読むのが、昔のニュースらしい。
・東北新幹線のみの暫定開業で、東北新幹線上りの最終が10時半到着で終わり
・映像のない東海道新幹線の混雑率250%が気になる。

東北自動車道の佐野藤岡IC付近が暫定4車線通行だったのが意外。開業最初から、現状の宇都宮ICまで6車線だと思っていた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E9%81%93
調べてみると、当時の東京アクセスは浦和IC以北だけ。1980年に岩槻ICから浦和ICまで伸びた。どうやら浦和~岩槻は当初から6車線で開通したようで、岩槻以北は鹿沼まで1984年までの間に拡幅される。1972年に岩槻~宇都宮ICが一気に開通した時点から10年も、橋梁や用地が準備された拡幅は放置されていた模様。別に北関東のローカル高速道路だったわけではなく、1975年には仙台まで全通している。東北自動車道全体を見ても、八幡平や十和田湖付近の山岳部以外は1970年代にほぼ完成しているのだ。
宇都宮ICでの日光宇都宮道路の接続まで6車線である現在の形態となったのは、何と1999年まで遅れる。
なお、川口で首都高速に直結するのは1987年まで遅れる。これが全線開通。1972年の岩槻~宇都宮ICけっこう建設に年月がかかっている。やはり、大したことのない一般道のみでの東京接続というのは相当なハンディーで、交通量が伸びなかったのだろうか?別に東名の厚木IC~御殿場ICのように、山岳部を別線線増したわけではない。用地などは準備されていたのである。
6車線の高速というのが珍しかったわけではない。京葉道路も早い段階で船橋まで6車線化されているし、東関東道は成田空港開業とほぼ同時に6車線である。

似た事例だと、常磐自動車道も友部JCTまでの6車線化は2000年であった。(常磐自動車道自体、東京起点の自動車専用道路では最も開通が遅く、1980年代まで着手されなかった。それゆえに既存の高速道路の自然渋滞への反省から、速度低下につながる微細な上り勾配の排除など、渋滞解消への配慮が設計時点から行なわれている。)

この手の道路建設史の体系的な叙述はないものだろうか?鉄道ならば「鉄道ファン」あたりの数年周期の特集で、いやというほど新幹線やヨンサントウ、ブルートレインなどの歴史を読まされるのに、道路はそういうものがない。
交通路研究の中で、道路マニアがいかにニッチな趣味であるかを象徴している。

「ローカル線に公共性はない。あってもガソリンスタンド以下である」??? [交通]

亡くなったJR東日本の山之内秀一郎元会長は、オフレコの持説としてこう言っていた。
「ローカル線に公共性なんてない。地元の一般の人は誰も乗っていない。公共性がないとは言わないが、突然列車が走らなくなっても、ロードサイドの店やガソリンスタンドがなくなるほどは地元の人は困らない。ローカル線の公共性はガソリンスタンドにも劣る。(うるさくローカル線に妄想注文を言うのは鉄道マニアだけ。マニアの発想などは鉄道経営には害あるのみである)」

恐らく東北の701系化は以上のような考え方に支えられているのだろう。
だが、計量科学において、最適値計算の事例を考えてみよう。かなりやり方が煮詰まった状態からは、なかなか値は改善しないものだが、改善の当初は初期値を総費用が大して変わらない範囲でいじってみるだけで、値が劇的に改善したりする。地方の公共交通の問題には、こういった面があるのではないかと思う。
地方を平日にドライブしてみると分かることだが、地方都市(それもバス交通がほぼ壊滅していることもありうる10万人以下のクラス)の朝夕の道路の渋滞というのはひどいものだ。その他の時間帯に15分でいける区間に45分を要したりする。
そんな時に遠距離通学の高校生(ローカル線を分析した鈴木氏などの執筆によるジャーナルのレポートなどを参照すると、田舎ほど高校生の通学範囲は広いことが分かる)は、いつも20分で走る鉄道の定時性に支えられて、何とか通学していたりする。バスに転換したら時間が読めなくなって下宿せざるをえなくなる事例もある。
越美北線の運営が消極路線に転じる前(不通になる少し前)には、朝だけ越前大野から福井行きの快速列車があった。福井近郊で渋滞する道路より早く、30分台で着くので、通勤通学客御用達であった。これがあれば夕方のダイヤが多少不便でも、大野から福井に通勤するのに鉄道を使う人も増えようというものである。
大型時刻表に載っていないのであまり知られていないが、福井~大野のメインの公共交通手段は路線バスである。鉄道は補完的な存在だ。が、ラッシュ時に関してはバスは定時性で頼りにならないので、鉄道の出番となる。
701系化も同様である。そもそも、短編成化でそれほど経費は削減されるのであろうか?確かにピーク時の稼動車両数を減らせば、固定費は減るが、ワンマン化によって削減される人件費ほどの比率ではなかろう。いわんや朝に使っていた車両が余っているのに、昼間も短編成化をしてしまうというのはおかしい。車両のメンテナンスコストの問題はあるだろう。だが車両のメンテナンスフリー化(国鉄車両の更新工事もそのような方向性である)もあるし、たくさんの車両を抱えることは著しいコスト増加になるとは思えない。
昼間は単行や2両のローカル線も、ラッシュ時の編成は4両以上あったりして、ツーマン運行だったりする。その車両はたいてい昼間は運用されない。普段は車を使っているのに、たまに昼間に鉄道に乗ってみた人がいたらどう思うだろう?
微妙に込んでいて、目的地まで立ち尽くしでは、もうその人はあと十年くらい鉄道は使わないだろう。

だいたいワンマンだから2両で詰め込みという発想はおかしい。北海道などでは長いワンマン列車も特例として運行されている。欧州式に完全な信用乗車とするべきではないだろうが、多くは改札のあるターミナル駅で降りるのだから、其の駅で不正乗車をチェックすればいい。高校の近くの駅では、その時間だけ改札のパートを雇うなど手はある。IC定期にして、タダ同然の固定端末を無人駅に置くという手もある(日本の自動改札機が高いのは磁気券を速やかに通す駆動部の問題であって、SUICA用に両毛線などに設置された簡易型の端末は驚くほど安い)。地方の国鉄の駅のホームは都心の地下鉄・私鉄などより直線的だから、編成が長くなったらドア扱いに不都合があるとも思えない。無意味な官僚主義である。
あとスクールバスのために行政が車両と多くのバスを用意するくらいなら、通学用にボロボロの鉄道路線を維持した方が賢明という事例も多い。末期の有田鉄道などはそうだった。
(地方の第三セクターが最近になって廃止になっているのは少子化の影響もあるが、国鉄時代に整備されていた路盤などの設備を使い倒したということもある。末期の京福永平寺線などの保線状態はひどいものであった。あのような状態を放置するようでは正面衝突事故も起ころうものである。これに比べれば名鉄の600V線は、名鉄が力を入れて最後まで新車を入れ続け、保線にもそれなりの金をかけていた。廃止に追い込んだのは、安全地帯を新岐阜駅前の路上に作ることさえ認めなかった行政の無策であり、岐阜県政の公共交通への無理解が然らしめたのである。まあ1960年代に郊外に県庁を移転してしまった県のやることではある)

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民主党案では大都市住民は得しない ~高速道路無料化に関するマスコミ報道は誤りだらけ [交通]

民主党が高速道路無料化政策を挙げていることは、参議院選挙のころはあまり知られていなかった。が、ガソリン値下げ隊(すなわち暫定税率廃止)の運動と両輪となって、今では国民に広く知られている。地方を中心とした広報活動が効を奏した形である。
だが、大都市の高速道路の扱いや、残る有料区間の運賃収入の扱いなどけっこう誤った報道が為されている。
まずは根本史料として、3月25日に民主党が決定した高速道路政策大綱の全体を見てみよう。

1.無料化の目的・効果 (1)生活コスト・企業活動コストの引き下げ  無料化により、最大2.5兆円の国民負担の軽減が可能となり、物流コストの低下などを通じ、家計の消費増や企業の設備投資・賃金引き上げなどに波及すれば、内需拡大に繋がる。  また、高速道路の利用や一般道の渋滞緩和で国民の時間コストを大幅に削減することができる。 (2)地域活性化  高速道路が「生活道路」「地域道路」として利用できるため、地域間交流の活性化が期待できる。同時に都市との交流コストが大幅に引き下がり、地域産品の需要地への進出拡大、地域の観光産業の活性化(SA、PAの活用を含む)、地価の安い地域への企業進出などが期待できる。 (3)温暖化対策  「渋滞の一般道・ガラガラの高速道路」をもたらしているのは高い高速道路料金である。無料化により、一般道の交通量の一部が高速道路に移行すれば渋滞が解消・緩和されることから、CO2の発生が抑制できる。 (4)「ムダづかい」の根絶  一般道の渋滞を解消するためのバイパス道路建設などが各地で見られるが、現在既にある高速道路を有効に活用することによりバイパス道路建設を抑制でき、国・地方の財政負担の軽減に繋がる。 <参考>高速道路無料化の経済効果 国土交通省国土技術政策総合研究所(国総研)の報告書における便益 費用便益分析(1*)による便益→約2兆7000億円 消費者余剰アプローチ(2*)による便益→約7兆8000億円(政府施策(3割引)の 便益(1.7兆円)の4.6倍) (1*)「費用便益分析」…国交省が道路整備事業の費用対効果分析に一般的に用いる手 法で、「走行時間短縮便益」「走行経費減少便益」「年間総事故減少便益」の3便益 の合計からなる。 (2*)「消費者余剰アプローチ」…政策評価モデルで社会的便益を求める手法であり、 「費用」と「供給量」の関係を示す需要曲線から利用者便益を求める。 2.施策概要 ○現在、高速道路会社6社が管理する高速道路は原則として無料とする。 ○実際の無料化にあたっては、首都高速・阪神高速など渋滞が想定される路線・区間などについては交通需要管理(TDM)の観点から社会実験(5割引、7割引等)を実施して影響を確認しつつ、実施する。 ○無料化後の高速道路は道路法上の「一般国道」の「自動車専用道路」とする方向で検討する。 ○今後の高速道路整備は、整備の必要性等を十分検証した上で、国の一般財源により行う。 ○社会実験として収受する料金は一般会計の収入とし、無料化後の高速道路の管理費用は、当面の間、その収入で賄う。 ○日本高速道路保有・債務返済機構(役職員:90名)は廃止する。雇用には十分配慮する。 ○高速道路無料化にあわせて、インターチェンジの増設や技術の発展度合いに応じて将来的には電気自動車用充電施設の設置等を行い、新産業の振興並びに地域の活性化も図る。 3.無料化による財政負担 ○保有機構が抱える債務35兆円は、無料化開始時点で国が承継する。 ○債務承継による国の財政負担(合計1.26兆円) 元本の償還…承継債務を順次国債に乗り換え、その後は国債償還の一般ルールである60年償還ルールに基づき償還する。よって、毎年度承継額の1.6%を一般会計から国債整理基金特会に繰り入れる。  35兆円×1.6%=0.56兆円   利子の支払…承継元本に金利(H21=2.0%)を乗じる。  35兆円×2.0%=0.7兆円 ○別途、首都高速会社、阪神高速会社、本四会社に対する出資分を自治体に償還する必要有り。 4.道路会社6社の取り扱い ○6社を統合し、当面の間、以下の業務を担当する。 (1)高速道路等の管理業務 (2)新設を含むIC,サービスエリア(SA,PA)を軸とした地域開発 (3)長大橋など高規格道路の企画・設計・建設 (4)道路会社の職員の再就職支援 ○(1)~(3)の業務については、国以外に対する営業活動を認める。 ○一定の期間を経過後、統合会社を上記(1)~(3)の業務ごとに分割・民営化する。 ○上記の実施に当たっては、道路会社の職員の雇用に十分配慮する。 5.論点 ○首都高速、阪神高速の株主である自治体(12都府県市)の理解 ○競合交通機関への影響及び交通弱者に対する配慮

注目すべきは以下の部分である。
○現在、高速道路会社6社が管理する高速道路は原則として無料とする。 ○実際の無料化にあたっては、首都高速・阪神高速など渋滞が想定される路線・区間などについては交通需要管理(TDM)の観点から社会実験(5割引、7割引等)を実施して影響を確認しつつ、実施する。 ○今後の高速道路整備は、整備の必要性等を十分検証した上で、国の一般財源により行う。 ○社会実験として収受する料金は一般会計の収入とし、無料化後の高速道路の管理費用は、当面の間、その収入で賄う。

第一に注目すべき点は、都市高速の扱いである。
首都高速・阪神高速の会社組織が西日本・中日本・東日本道路会社と共に捉えられ、解体されるのである。名古屋高速が対象とされていない理由は、国が筆頭株主でなく、地元の自治体の出資のためで、田舎の道路公社と同じ扱いとされているようである。
つまり料金を取り続けるにしても、交通の実態に合わせたものに料金制度は変わるということだ。中央道の均一区間からの連続として、調布~新宿で1300円という法外な価格を取られることはなくなるだろう。

第二に有料区間としてどこが残るかという点である。
「首都高速・阪神高速など渋滞が想定される路線・区間など」
は直ちに無料化されることはないのである。交通需要との関係だから、大都市の高速が無料だと大渋滞するのは当然だ。有料のままとすることは目に見えている。
重要な点は「など」の二回の使用だ。
「渋滞が想定される路線・区間」
であれば、首都高速・阪神高速以外も無料化する必要はないのである。恐らく通勤割引や休日特別割引の適用外の大都市近郊区間は有料のままであろう。
さらに高速1000円の騒動で大渋滞した名古屋周辺も無料化されないだろう。だいいち初乗り800円で割り引きも渋い名古屋高速が有料のままでは、東名阪道の名古屋環状区間や伊勢湾岸道などに今以上に車が集中して、名古屋高速を通る通過車両(あまりないとは思うが)は皆無となって、名古屋高速の収入は激減する。新名神が伊勢湾岸道に直結するまでは、毎週末の渋滞名所の西名阪道の四日市付近も無料化されないだろう。
休日の渋滞名所として定着してしまった、和歌山県内の旧海南湯浅道路などの2車線高速も無料化されない。現在完成二車線から苦労して四車線化工事をしている最中である。
北九州・福岡近郊も厳しいものがある。だいたい自治体系の道路会社運営の都市高速がある地域で一般高速道路を無料化するというのは無理な話だ。有料の都市高速を造る道路需要がある所では、一般高速は有料のままとするのが適当だし、地方自治体の財政を悪化させないためには、これらの道路公社への配慮が必要だ。
さらに、
「渋滞が想定される路線・区間など」
という表現になっているのだから、他に理由があれば無料化する必要はないのである。
本四架橋などに関しても無料化しないという選択はあろう。さすがにかかったコストを考えれば少しでも料金収入を得たいからである。他の区間でも恵那山トンネル、関越トンネルなどは有料のままだろう。建設費、維持費共に大きいし、周囲の道路に迂回する車で一般道が渋滞するわけでもないからである。

第三に注目すべき点は、残る有料区間の料金収入の扱いである。これらは直接一般会計に投入されて、一般国道の管理運営にも回される。無料化された区間も一般国道と同様に管理され、有料区間の収入で維持管理費をまかなうことになる。
要するに大都市の道路収入で地方の道路の維持費をまかなおうという話だ。ここまで地域間の再分配を進めるのだから、民主党は地方ほど伸びるはずである。

これらの点がしっかり報じられれば、民主党案は非現実的との自民党・国土交通省の反論はけっこうかわせる可能性がある。第三の点で、道路管理の財源がなくなるわけではないからである。
だが、民主党の党略としては微妙な面がある。けっきょく身近な近郊の高速が完全無料化されないならと、東京近郊の住民からは大して支持されない。そうすれば、大都市で勝てなくなるからだ。

マスコミにも民主党案の以上の特徴をしっかり報道してもらいたいと思う。
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クルーズ客船の寄港問題に高さ制限 [交通]

鉄道の線路限界と同じ問題があるとは。
カリブ海の巨大クルーズ船がどうやって各寄港地に入っているかが気になる。まさか殆どランチ連絡だとは思わないが。
これを見ると、クルーズ船の中でもクイーンメリー2号はデザイン重視で極端にマストが高いようだ。そうしないと古典的な客船らしいプロポーションにならない。フリーダムオブシーズとかはデブデブで格好は良くない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%83%BC2%E5%8F%B7
フリーダム級は何とか横浜港には入れそうだが、東京港はクイーンエリザベス2と同じ理由で難しいだろう。
今のところ、太平洋横断クラスのルートにこれらカリブ海の超大型客船は来ないと思われるが、クイーンメリーが入れないのは厳しい。
3月に横浜にクイーンメリーが寄港した際には横浜港の大桟橋に入れず、コンテナ埠頭から乗客と見物人をピストン輸送の体制となった。


http://www.asahi.com/national/update/0205/TKY200802050204.html
巨大豪華客船、レインボーブリッジくぐれず 誘致に障害
2008年02月05日15時01分

東京港のシンボル・レインボーブリッジが、豪華客船を誘致する際の思わぬ障害になっている。設計時の想定を上回って客船の巨大化が進み、多くの大型客船が橋をくぐれないためだ。近年のクルーズ旅行ブームで、客船の寄港は観光資源になり経済効果も大きい。東京都は新年度に1000万円の予算をつけ、大型客船はあきらめて中型客船の誘致策などに乗り出す。豪華客船の巨大化で橋をくぐれず、東京港奥の晴海客船ターミナルに行けないケースも増えた
都心と臨海副都心をつなぐレインボーブリッジは93年に完成した。橋げたの高さは、豪華客船の象徴クイーン・エリザベス2世号(QE2、7万トン)の海面上の高さとほぼ同じ52メートル。近くに羽田空港があり、航空法で主塔の高さが制限されたため「QE2がマストを外すか干潮時ならぎりぎり通れる設計」(都港湾局)だった。
都は橋の完成前の91年、橋より港の奥にある晴海客船ターミナルを「QE2が着岸できる規模にする」として91億円かけて東京港唯一の国際窓口に整備した。「QE2は橋ができれば多少苦労してでも来てくれるだろうと漠然と思っていた」(当時の都幹部)が、橋の完成後の来港はなし。国内の運航代理店は「船が傷つく危険は冒せない」。
さらに近年は、サファイアプリンセス(12万トン、海面高54メートル)やクイーン・メリー2号(15万トン、同62メートル)など、橋を完全にくぐれない巨大客船も登場した。都内のクルーズ専門旅行会社の社長は「豪華客船は10万トン超が主流。東京港は国際港として完全に取り残された」と話す。
実際、海外客船の東京港入港数は01年の22隻から06年には10隻に減り、横浜港(01年4隻、06年13隻)に逆転された。
各地の大型橋もQE2が余裕をもって通過できるように設計されており、横浜港のベイブリッジが56メートル、瀬戸大橋や明石海峡大橋は約80メートルある。

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